セガ マークⅢの思い出
ブログを巡回していましたらネットタイガーさんの記事が目に留まりました。
↓↓↓↓↓こちらの記事です。↓↓↓↓↓↓
思い起こせば今から約30年前、昭和59年の1月の事です。前年に発売されたファミコンは当時の小学生の間に瞬く間に広まり、持っていないと友達同士の話についていく事が出来ないほどの影響力がありました。
まずは金策に走り…
そんなファミコンですが、「買って」と親に言って買って貰える様な甘い世の中ではありませんでした。そして私は考えました。
お年玉を使って自分で買おうと!
しかし、本体価格14,800円に何かのソフトを買ったら約2万円。小学生に出せる金額ではありません。そこで、私は3歳上の姉に話を持ちかけ、投資リスクを分散させる作戦に出ました。
父親を説得…
あとは二人で堅物の父親を説得するだけです。
勉強しなくなるから駄目だ。
…案の定玉砕。しかし、私は食い下がりました。当時の我が家はテレビは1台。夜は親がプロ野球を見てるからどーせファミコンは出来ません。夕方にゲームをやるとしても週に2回の公文式の日は出来ませんし、学校から帰ってきたら外で野球をしてるような時代でしたので、遊べても週に1~2回くらいしか出来ないから勉強には影響が無いでしょ!と父親を説得して何とか了承を貰いました。
いざ、ビックカメラ…
当時は東京の板橋に住んでおりました。目標は隣の池袋にあるビックカメラ!。「3割4割あたりまえ~」とCMで叫んでいたかの店にターゲットを設定し、乗るぞ赤羽線((当時)現埼京線)。期待に胸を膨らませてついたビックカメラでしたが、ゲーム機売り場には小学生の心を粉砕する言葉が待っていました。
ファミリーコンピュータ売り切れです。
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淡い期待を込めて店員さんに聞いてみるも、
「3ヶ月待ちです。」
との冷酷な言葉。そして店員さんはこう続けました
「セガ マークⅢならありますよ!」
と。
私は迷いませんでした。ゲーム機が欲しい、ファミコンじゃなくてもいい。とりあえずなんでもいいから欲しい。と心の悪魔が囁くのです。これから始まるセガ派不遇の時代が待ってるなんて想像も出来ませんでした。セガ通もセガマガジン存在せず、BEEPだけが唯一の味方となる四面楚歌の時代が待ってることも想像出来ませんでした。3ヶ月待てばいいじゃんという姉の言葉を振り切って私が発した言葉は
「セガマークⅢ下さい。」
と。
我が家にやってきたセガ マークⅢさん。これから一緒に冬の時代を戦う戦友でした。ただの小学生にマイノリティにはマイノリティとしての生き方があるということを教えてくれたのも彼、マークⅢさんでした。
長くなりましたので思い出がいっぱい詰まったセガ マークⅢさんの話はまた別の機会に(笑)。次回は誰も知ろうとも思わない詳細なゲームレビューでも書いてみましょうか(笑)。