世界の強豪サッカーチームの胸スポンサーをやっていた日本の家電メーカーの話
唐突ですが実は私、かなりのサッカーマニアなのです。小中高大とサッカー漬けの生活をしており、今のように海外のサッカーが簡単に見れなかった時代に育ったもので、海外サッカーに飢えてましたねぇ。その頃に見た、輝く日本企業の胸スポンサーが今でも思い出されますね。そして今回のお話は表題の通りですが、当ブログではやはり家電関係だけのご紹介をさせて頂きますね。ただ、今回はやたらとサッカーの話に、そして好きなチーム、選手の話に偏ってしまうかもしれませんのでご容赦を(笑)
我らがシャープはマンUをスポンサードしていた話は有名ですよね。1982年から2000年までの長期間、胸スポンサーとしてマンUを支えていました。個人的にはマンUの黄金時代は90年代です。今でも世界ナンバーワンGKだと個人的には思ってやまないシュマイケル。92年の代替出場した欧州選手権は凄かったですね。クリンスマンとリードレのドイツの2トップのシュートを何本防いだのか今でも伝説です。そして、やたらの気性の激しいアイルランドの至宝ロイ・キーンキャプテン。上手い選手ではないのですが存在感バリバリの彼が大好きでした。
そして私のアイドルはウェールズの生んだスーパースター、世界最高のウインガー(個人的見解です)R・ギグスですよね。左サイドを切り裂くJ・ベストを髣髴させるキレキレのドリブルに憧れたものです。後はカントナ、スコールズ、カンチェルスキスあたりですかね、好きなのは。長くなるのでこの辺にしときます。
ちなみに昔シャープのビデオカメラ「ビューカム」をお買い上げのお客様にマンUのユニホームプレゼントという企画がありました。応募用紙に製造番号を記入して送るだけでユニホームが貰えるとあって、店の在庫の製番を記入して送っちゃおうかと誘惑に駆られたのがいい思い出ですね(笑)
続きまして我らがソニーは名門ユーべですね。当時はジダン、デシャン、デルピエロに世界最高の中盤の底と言われたコンテ辺りが主力でしたかね。個人的にはもうちょっと前の時代のラバネッリ、R・バッジョとかの時代の方が好きだったかもしれません。
ユーべのファンになったのはもちろんあの伝説のトヨタカップの
「プラティニゴール!スーパーゴール!ビューティフルゴール!」
からです。
美しいですねぇ。今更ながら残念な幻のゴールですねぇ・・・。
我らがビクターもヨーロッパブランド名の「JVC」ブランドでアーセナルのスポンサードしておりました。今はケンウッドに吸収されてしまったのが残念です。スポンサー期間は1982年から1998年シーズンまでの長期間に及びます。当時はまだアンリは加入しておりませんでしたが、世界最高の変態トラップとベルカンプターンで有名なベルカンプ先生が在籍しており、その美しすぎるプレーに魅了されたものです。
あとは90年イタリアW杯でのスーパーボレーが記憶に残るイングランド代表のプラットが印象的ですね。チャックウィルソンに似てる!と思ったのは私だけではないはずです(笑)
アルゼンチンの天才育成チームの最高峰のリーベルは90年代に三洋がスポンサードしてました。天才アイマールに超絶ドリブラーのオルテガ、スピードスターのカニーヒアやダレッサンドロ、バティとバルボのような大砲もリーベル育ちですかね。
横浜マリノスに在籍していたサパタや、Jリーグ初代得点王のラモン・ディアスもリーベル育ちです。ディアスは現リーベルの監督でもあります。
今はちょっと落ち込んでますが、90年代のフランスではオリンピック・マルセイユが輝いていました。チャンピオンズカップ(当時)で優勝をするもリーグ戦での八百長発覚でチャンピオンとしてトヨタカップに来日できず、準優勝のレッドスターが来日したことがありましたね。
リーグで5年連続の得点王となり、バロンドールも獲得したフランスの爆撃機ジャン=ピエール・パパンや抜群の身体能力でゲームを支配したガーナのA・ペレを要した好チームでしたね。前述のチャンピオンズカップ決勝後に相手チームだったレッドスターから東欧の至宝ストイコビッチを獲得した為に、ストイコビッチはトヨタカップに出られなかったのが皮肉な話です。
結構長くなってしまいました。まだまだあるので続編が書ければまた続編を書きたいと思います。どうも有り難う御座いました。